資産形成の回想録

資産形成をする為の心得

幼少期(金融リテラシーゼロ)

私の両親は市場で豆腐屋をしてました。
当時、お金のやりとりは現金が主体の世の中でした。

父は毎日、売上を帳簿で管理してました。

市場の中には色々な商店があったので、お使いも母に指示されて
お金を預かって、買い物したりしてました。そこでお金の価値
覚えていきました。

幼少期は稼業も順調で忙しく、休日はお店の休み(週1回)によく
天神橋筋商店街に連れて行ってもらいました。おもちゃ屋さんに入り
たがる私に困惑し、親は買うつもりのなかったおもちゃを仕方なく購入
していたそうです(本当は店に入った私は気に入ったおもちゃのパッケージ
をその場で破いていたそうです・・・)。結構な頻度で、このような戦術で
おもちゃをゲットしていたそうです。
また、小学生の時はマンガ本(なかよし・チャオ・コロコロコミック等)の月刊
雑誌をお小遣いとは別に買ってもらったりもしてました。
そんな贅沢な幼少期でしたのでお金に関する知識はゼロでした。

一応、弁解するとお金を使うばかりではなくお手伝いもしてました。

小学生(高学年)の頃は、夏休みや冬休みに近くの郵便局の食堂へ
自転車で配達に行っていました。
その頃はお客さんのところへ行っても挨拶をするということが少し
恥ずかしくて、自分を鼓舞しながら挨拶をしていたことを覚えています。

当時は正月の3ケ日は開いている店がなく、12月31日にお客様が
買い溜めするため店は大忙しでした。その為、前日の30日は両親
とも翌日の仕込みで帰宅も深夜になり、妹と2人で両親の帰りを寂しく
待っていた事を記憶しています。
大晦日にはお店に出て焼き豆腐を作るのを手伝ったりと、サラリーマン
家庭では味わえない貴重な経験
をしてきました。

中学~高校時代(まだまだ金融リテラシーゼロ)

中学時代は1年生の時、進学塾の入塾テストを受けさせられました。
合格はしましたが、部活(バレーボール)がやりたくて、結構塾を
サボっていたので退塾させられました。(塾からハガキが届きました)。

中学3年間は本当に部活三昧で、食べ盛りと言うこともあり冷蔵庫の食材
を食べつくしていました。一応、お小遣いも貰っていましたが部活の昼食
代は別
に親から出して貰っていました(親は打ち出の小づちのようでした)。

部活を引退した直後には、母に約束させられていた塾に通わされましたが、
塾嫌いだったので宿題もせず、塾の先生の奥さんがお店に買い物に来られた
時に、「宿題はしてきて欲しい」と告げ口されて、母から叱られたことを覚え
ています。

塾で勉強した内容が受験に役立ったのか?別に通わなくても合格していたの
ではないか?と今でも思っています。

何故そう思うのか?当時は商業高校からの就職もスタンダードなルート
でしたし、勉強嫌いの私は商業高校を選択したので、そんなに難関では
なかったように思います。

高校に入ると、一度は部活に入りましたが(何故か剣道部)1年で辞め
ました。防具等も買ってもらっていたので本当に勿体ないことをしたと
反省してます。

それ以外にのめり込んだこと、今でいう推し活【チェッカーズ】
大好きになりアルバイトをして自分で稼いだお金は全部使ってました。
アルバイトをするようになってからは、父からお小遣いを貰うことは
無くなりました。
夏休みには、「社員?」って言われるぐらい働いてました(スーパーの
レジ打ち)。

その頃から、自分の欲しい物は自分で稼いで買うということを覚えました。
父は自分で稼いだお金では、何を買っても咎めることはしなかったので、
本当にありがたい教育でした。

あと幼少期にあった父の対応で、鮮明に覚えているのが夕食のわがままです。
母が今夜は「鍋」と言った時に、「オムライス」が食べたいと私が言った事に
対して何故か食事を作ったことがない父「わかった作ったる」って言って
台所へ入りました。炊飯器のご飯をてんこ盛りにして薄焼き卵を味付けなしで
てんこ盛りのご飯にのせてケチャップをかけただけのオムライス・・・。

味は激マズでしたが、自分がわがまま言って父がわざわざ作ってくれたので、
「要らない」とは言えず頑張って完食しました。それ以降は母の作る食事が
とても美味しいと思い、食事でわがまま言うことをしなくなりました。

高校3年間は商業高校だったので、簿記や珠算検定等を受験し資格を取り
始めた時期でもありました。就職率95%の商業高校だったので社員募集
の会社も多く、当時では珍しかった週休2日制長期休暇有りメーカー
を受けて合格
しました。

社会人(独身時代)(金融リテラシーゼロ?)

社会人1年生の時はバブル経済真っ只中でした。

社会人になって給与をもらい始めた時に、父から預金をしなさいと
言われました。当時は社内預金(6%)があったので、給与からの
天引きで毎月数万円を預金していました。

それ以外では特に預貯金することはなく、独身時代は実家住まい
だったので、親からいくらかは家に入れなさいと言われ、渋々です
生活費程度を入れていました。

残りは使いたい放題でしたが、今から考えると何に使ったのかは
あまり記憶には残ってません。推し活や洋服・化粧品を買って
たと思います。

あと、最近母に聞いて知ったのが、社会保険料の国民健康保険料の
私の分を数年2重で支払っていたそうです。私は健康保険料は給与
天引きで支払っているので、不要になることを意識できていなかっ
たようです。(金融リテラシーが親子とも不足してました。)

会社員であれば当たり前の年末調整も、新入社員の頃は何の調整な
のかもあまり理解できずに、言われるがまま記入し提出していまし
た。

自営業の家庭から会社員になると、会社員あるあるは全く親から
教えてもらえず、自分自身で勉強するしかなかったのですが、今の
ようなネット環境が整っていた時代ではないので、本を買ってまで
勉強するようなことはしませんでした。
【年に1回のことで、あまり重要性を感じてなかったからです。】

社会人で独身時代に一番お金を使ったのは、当時「ジェットスキー」
に乗りたくて、小型船舶4級免許を取得し自分で「ジェットスキー」
をローンを組んで購入したことです。「ジェットスキー」関連の雑誌
を買って、琵琶湖にゲレンデがあり艇庫保管が可能な場所を見つけ
湖西線に乗って週末土日に琵琶湖に通ったことが、当時の私のお金の
使い方でした。

その頃の事は鮮明に憶えていて、独りでなんでもやるキッカケになり
ました。

3年程「ジェットスキー」にのめり込み、独りの楽しみを満喫して
いた頃に今の夫と付き合うようになり、結婚が現実化してきた時に
「ジェットスキー」を続けることはお金がかかるので、難しいと思い
手放すことを決意しました。

夫とお付き合いしている頃は、遊びに行くお金は全て出してくれて
気前のいい人でした。同じ会社だった為、給与もボーナスもある
である程度、預貯金は持っているだろうと思っていましたが、預貯金
苦手なタイプだったようで、結婚する時に預かった通帳を見て驚愕
しました。(少なくて・・・

社会人(結婚→夫婦共働き)

結婚が決まり、夫からお金の管理をして欲しいと頼まれ預金通帳を預かる
ことになりました。夫婦共働きは覚悟していたのですが自分達の家計管理
を自分がしなければならないと責任を感じました。

住居は私の親の近くに住むのを前提に最初は賃貸で探していましたが、
バブルもはじけた後だったので、中古マンションの購入も視野に入れ
下見を繰り返した結果、現在のマンションを購入することにしました。

その時に住宅ローンを組んだのですが、中古マンションだった為
リフォーム代もかかりその分だけ別でローンを組みました。

住宅ローンはゆとり返済を選択しましたが、5年後にはゆとり返済
でなくなると、返済額が家計の負担になるので、リフォーム分のロー
ンを完済
して、ゆとり返済から普通返済になる準備をしました。

性格上、あまりローンが好きではなく住宅ローンの早期完済を目指し
なるべく自分の給与は預金しておき、ボーナスも半分は預金して繰上
返済を数回繰り返して、住宅ローン控除期間が終了すると同時に完済
することができました。

あまり意識してやってはいませんでしたが、これも無意識の金融リテ
ラシーだったと今では懐かしく思います。

夫婦共働き前提だったので、子供を授かりたい時期も生活防衛資金が
貯まってからと思い、結婚後2年経ってから子供が生まれました

その頃から、育児休暇がスタンダードになり私も1年間育児休暇をとり
ました。会社へ復帰後の育児は私の両親にお願いしました。

実家の豆腐屋の経営も、近くにできた大手スーバーの影響もありまた不況
のあおりを受けて、お店をたたむことになりました。

父も還暦を迎えてたので、どこかに就職することはせず、子供を見て
もらうことにしました。手がかかる子供の幼少期は両親にお世話に
なり仕事を継続することができたので、とても感謝してます。

子育てしながらの住宅ローン返済と子供の将来の学費の貯蓄、自分の
老後についての漠然とした不安から、できるだけ貯蓄を頑張りました。
必要になった時にお金がないのが、不安だったのでひたすら社内預金・
財形貯蓄・学資保険等蓄財に必死になってました。

その甲斐あって、子供の高校・大学の学費は全て出すことができ、
としての責任を果たすことができました。

社会人(夫:定年退職)(金融リテラシーに目覚める)

一回り年上の夫が定年退職をしたのが60歳の時で、65歳まで雇用
延長は可能でしたが、定年後は自分の好きなことがしたいという本人希望
から、「専業主夫」をしてくれる交換条件で承諾しました。

夫の定年と同時に子供は大学に入学したので、うちの支出はMAXとな
り、貯蓄する余裕がなくなりました。夫の60歳から62歳の2年間
は私の収入と預貯金の取り崩しで何とか生活しました。

夫が62歳から「特別支給の厚生年金」を受給することができましたので、
「特別支給の厚生年金」を受給し始め、少し余裕が出てきました。

その頃、私が現在の職場に異動になり「金融リテラシー」の勉強に
目覚め拍車がかかりました。

年金には、国民年金厚生年金があること。
夫の両親は厚生年金を受給してましたが、私の両親は自営業だった
為、国民年金しかなく預貯金が底をつくと生活は不安定になりかね
ない金額だと知った事。(国民年金基金を知ったのは最近です)

遺族年金についても厚生年金にしか遺族年金はなく国民年金
両親がどちらか一方が他界した時の生活はやはり補助してあげない
生活できないと想像ができました。

国は年金制度を作った時に「老後は安心」を謳い一応両親はそれを
信じて、国民年金の保険料は支払っていたようです。
しかし、国民年金基金(会社員の厚生年金と同等)については全く知識
がなく、貯蓄にしていた分を「国民年金基金」にまわしていたら、
年金受給額は全く違っていたと思います。

そのことが、私の金融リテラシーの勉強に拍車をかけました。まずは
両親を私の扶養家族にいれて、両親の生活の補助を継続。確定申告で
医療費控除は両親・夫・私の4名分をまとめて申告すること。
合わせて「ふるさと納税」「iDeCo」も忘れずに申告すること等。

自分の老後に影響がないように、貯蓄分をNISAの個別株投資にシフト
させて配当金で両親の補助が出せるようになることを目標にしてます。

まとめ

金融リテラシーを学べば学ぶ程、もっと早くから知っておいたら良かった
と思うことばかりです。

現在ではネット環境も充実しているので、YouTube等を見て勉強していって
ください。【くれぐれも投資詐欺動画には気を付けてください】

 

タイトルとURLをコピーしました